AV業界ブログ
AVの歴史!ビデオの発展はAVがあったから?
日本で「アダルトビデオ」と言えば聞いたことがない人はいないというほど有名なものですが、その普及はビデオの発展と密接に関係してきました。
そこでここではAVの普及とビデオの発展の関係性について紹介していきたいと思います。
1.ビデオデッキの展開
一時期日本の記録媒体を支えてきたビデオデッキはすでに最後の製造業者であった船井電機も「VHSビデオデッキ」の生産を終了しています。
VHSのビデオデッキは1977年に発売されました。
1975年に発売された「ベータマックス」と激しい規格競争が行われ、どちらが生き残るかとなっていたのですが、そこに大きく影響したのが「アダルトビデオ」です。
のち、2000年代に入ってDVDが主流になっていくと徐々にビデオは姿を消すようになっていきます。
2006年にはレンタル部門でもDVDはVHSを追い抜き、アダルト作品もDVDへとシフトチェンジしていくことになります。
2.アダルトビデオの誕生とビデオとの関係
VHSとベータマックスの争いに大きく関係したのがアダルトビデオです。
日本のアダルトビデオの初作品は日本ビデオ映像が1981年の5月に発売した「ビニ本の女・秘奥覗き」と「OLワレメ白書・熟した秘園」でした。
こうしたアダルトビデオが発売されるまで日本でポルノと言えば劇業で公開されているポルノ映画を指していたのですが、VHSビデオデッキの家庭への普及に合わせてアダルトビデオもその販売数を増やしていくことになります。
1981年7月には、にっかつビデオフィルムズが「生撮りシリーズ」を販売します。
11月には愛染恭子の「愛染恭子の本番生撮り 淫欲のうずき」が発売され、この作品は2万本を超える記録的な大ヒットとなりました。
1982年8月には「ドキュメント ザ・オナニー」シリーズが発表され、アダルトビデオのそれからの方向性を決定づけていきます。
「素人生撮り」「インタビューオナニー形式」などの人気シリーズを販売した「宇宙企画」では、のちに「アダルトビデオ」という言葉を作り出したと言われる小路谷秀樹が監督としてヒット作品を連発して発表していきます。
小路谷秀樹監督によって「素人もの」「ドキュメントもの」といった作品が人気シリーズとして定着していくことになります。
3.1980年代後半のアダルトビデオの展開
1980年代半ばごろになると渡瀬ミク・早川愛美・永井陽子・杉原光輪子・森田水絵・中沢慶子・
小林ひとみ・麻生澪・秋元ともみといった「美少女系女優」がブームとなり、特に本番にはこだわらないソフトポルノものが人気となっていきます。
このころになると「疑似本番」という言葉ができるようになってきて、本番行為を行わずに演技によって臨場感を出すという手法が広がっていきます。
また、「AV女優」という言葉が広がっていったのもこのころです。
このころになるとレンタルビデオ店もあちこちに乱立するようになっていき、アダルトビデオのレンタル量とともにVHSビデオデッキの販売量も増加していくことになります。
しかし1985年にソフトポルノ路線を進んでいた日本ビデオ映像が倒産をすると、大きな変革を迎えることになってきます。
このころに登場した「村西とおる」は本番路線に進むことで営業的な成功をおさめるようになり、本番ポルノが主流となっていきます。
1980年代後半になると「本番」に強いこだわりを持つ過激な表現を行う女優が人気となっていきます。
黒木香、咲田葵、沖田ゆかり、亜里沙、朝吹麻耶、豊丸、沙也加、有希蘭といった女優たちは過激な作品を次々と発表していきます。
4.1990年代のアダルトビデオの展開
90年代に入って一つの転機としてあったのが、沖田ゆかりが「いんらんパフォーマンス 色即是空」で見せた「潮吹き」だと言えます。
潮吹きは最近では女性の快感を表現する手法として一般的に使われるようになってきていますが、その元祖と言えるのがこの時期に発表されたのです。
また、村西とおるや黒木香らがテレビ番組に出演するようになるとアダルトビデオはさらに認知度を高めていき、それと同時にレンタルビデオの普及も広がりの限界を迎えるようになっていきます。
レンタル料金は価格競争が激しく行われることになり、その価格は一気に下落していくことになります。
さらにレンタルビデオ店は他との違いを売りにするためにビデ倫を通過していない「無審査ビデオ」「インディーズ・ビデオ」を店頭に並べるようになっていきます。
また、作品にも独自性、社会性などが追究されるようになっていき、カンパニー松尾、バクシーシ山下、平野勝之といった有名監督が誕生していくことになります。
女優も一般の女優やアイドルにひけをとらないルックスを備えた美人女優が次々と登場していきます。
葉山レイコ、星野ひかる、浅倉舞、白石ひとみ、伊藤真紀、青山ちはる、沢木まりえ、朝岡実嶺などがその代表です。
さらに1992年にデビューした飯島愛は人気深夜番組「ギルガメッシュナイト」に出演するなどもあって爆発的な人気を誇りました。
そしてこの1990年前半から中盤にかけてビデオ作品は「レンタル」だけでなく「セル」が普及していくことになります。
1993年に誕生した「ビデオ安売王」は1995年には1000店舗まで広がりを見せます。
また、ビデオ安売王グループの「ソフト・オン・デマンド」は独自の流通ルートを確立したことで現在までつながる経営規模と成長していきました。
5.2000年以降の変遷
2000年代に入るとさらにAV業界は変化をしていきます。
蒼井そら・麻美ゆま・初音みのり・みひろ・吉沢明歩・西野翔・Rioといった人気AV女優たちがテレビのバラエティ番組に出るようになり、「恵比寿マスカッツ」のようなアイドルユニットも組まれるようになっていきます。
それらの活動によってAV女優は特別な職業というイメージは薄れていき、同時に業界内のクリーン化も進んでいくことになります。
2008年にはアダルトビデオメーカー「MUTEKI」が誕生し、芸能人をAVに起用するという流れもできていきます。
しかしこのころになるとビデオデッキは終焉を迎えるようになっていきます。
ソフト・オン・デマンド、DMMグループ、プレステージなどの各社は動画配信サービスを行うようになっていき、AVの媒体はDVDや動画配信へと移行していくことになります。
実際に作品がVHSで販売されるということもなくなっていきます。
2010年代には従来のDMM R-18改めFANZA、TUTAYA TV動画見放題、ゲオTVに続き2019年よりU‐NEXTがアダルトサービス・H-NEXTを開始するなど動画配信が主流へと移っていくことになります。
6.ビデオデッキの終焉
店頭販売ではDVD、ブルーレイなどが主流となっており、インターネットでは動画配信によってAV作品が発表されるようになるとビデオデッキは製造されないようになってきます。
つまりVHSビデオデッキの主な活動期間である1980~2000年ごろは、まさにアダルトビデオが全盛だった時期とそのまま重なっているということがわかるのです。
もちろん一般のアニメや映画の作品の影響もあったでしょうが、やはりアダルトビデオの影響がもっとも大きいと言えるのは間違いありません。
まとめ
ビデオの発展、普及、終焉はそのままアダルトビデオのものと重なります。
アダルトビデオとともに発展し、普及し、終焉を迎えていったのが「ビデオ」なのです。
ただ、そのころにできた「アダルトビデオ」「AV女優」といった言葉や今も人気のシリーズなどはしっかりと受け継がれています。
それらは提供媒体がDVDや動画配信に変わってもなくなることはないのです。